2020/02/12

ハンス・カール・フォン・カルロヴィッツ

"持続可能性"とは自然体系における固有種の保護ならびに生態系の自己再生能力の保護を目的とした資源利用に際する行動原則の一つであり、ハンス・カール・フォン・カルロヴィッツ(1645-1714年)によって、木を伐採する場合その森の持つ再生能力を超えて伐採してはならないという森林経済における論として提唱されました。彼の各々の自然体系は壊されずに長期的な視点に基づき保持されるべきという考えはこの分野における礎となっています。

最もよく用いられる定義としては、国連におけるブルントラント報告(1987年)の「持続可能型成長とは次世代を現世代の資源消費によって困窮に晒さないこと、また、現世代より次世代がより大きな果実を手にすることできるようにする社会的取り組みである」が挙げられます。この定義から持続可能性(持続可能型社会)とは現代だけではなく次世代も含む未来を見据えた成長を目指す概念であるということができます。
https://www.vorwerk.co.jp/special/cat531/german-lecture-102.html


リオ会議や京都会議などにより近年注目されるようになった持続可能性という概念は、300年ほど前にザクセン鉱山の総監督であったハンス・カール・フォン・カルロヴィッツによる『経済的森林開発』という林業に関する文献にすでにみうけられるというのである。この本のなかで、カルロヴィッツは、持続可能性の実現のためには、経済が共同体の「福利」に資するものとなること、「恵みぶかい自然」を大切に扱うこと、将来の世代に責任を負うことの三つが必要であると指摘し、この思想は今日的にも非常に重要な意味を持つと紹介した。この後、経済学者としての素養やザクセン州首相としての経験に基づいて語られる環境・エネルギー問題への知見はカルロヴィッツの思想に共鳴するものとなる。

ザクセン州は旧東ドイツのエネルギー生産の中心地であったこともあり、土壌、河川、大気の汚染は深刻な状態にあり、次世代への配慮も環境保護の姿勢も皆無だったという。しかし、ザクセン州は1990年代から環境分野における劇的な改善に成功し、首相はそのことを誇らしく語りかけた。その過程では政治が行った必ずしも選挙民には喜ばれないような決定が成功の要因となったという自負があるからであろう。1990年以来、ザクセン州はCO2排出量は半分以上削減する一方で、太陽・風力などの再生可能エネルギー産業の中心地として発展した。現在、ザクセン州は連邦全体の産出量の40%を占めるほどの太陽エネルギー産業の中心地になっており、風力発電についても同様の状況にある。これらの持続可能な環境社会を実現するために、ザクセン州はその負担を実質的に市民に求めた。つまり、再生可能エネルギーを当時定められた価格で買い上げることを電力供給事業者に義務付け、そのために生じた電力価格の上昇を市民が負担することとなった。これは実質的な「増税」といえるものであり、選挙民に喜ばれるものではなかった。しかしその効果は明らかであったと首相はいう。コスト高のために競争力に劣った再生可能エネルギー生産を支援し、また、消費者はエネルギー使用(あるいは電気代)を減らす、いわゆる「エコ」な生活を模索した。また、中古物件のエネルギー収支の明示を義務付ける法律ができたこともあり、断熱仕様でない物件は市場価値を大きく下げることになった。結果として、エネルギー消費も大きく削減された。
http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/j/d_071002.html


森林資源利用に関するサステナビリティ
について歴史上最初に言及されたのは 18 世紀初頭(1713 年出版)にドイツのザクセン地方のハンス・カール・フォン・カルロヴィッツ(Hans Carl von Carlowitz)によって書かれた“Sylvicultura oeconomica, oder haußwirthliche Nachricht und Naturmäßige Anweisung zur wilden Baum-Zucht”である。本書において、銀鉱山を管理する職にあったフォン・カルロヴィッツは、鉱山において木材の燃料としての過剰な利用により、ザクセン地方の森林管理が破綻しつつあることを指摘し、持続可能な森林経営の重要性を説いている。
http://www.21ppi.org/pdf/thesis/150331.pdf



持続可能性とは、1713年のドイツ/ザクセンにおいて、ハンス・カール・フォン・カルロヴィッツによってはじめて書物に収められた概念です。彼はフライベルク鉱山採掘の監督官庁の長官として任務にあたるとともに、鉱山経営によって大量消費する木材需要圧力(坑道の資材として、とりわけ鉱石を加工するために消費される燃料として)によって、周囲の森が荒廃してゆくことに問題意識を持ちました。周辺の森林が荒廃してゆくと、かさばり、重い木材をより遠くから集めなければならなくなり、鉱山の経営状況が年々悪化してゆきます。それゆえ、フォン・カルロヴィッツは、①森林を切ったら、植生・育成し、②育成して成長する分だけ伐採することを許す、というルールを体系化し、それを持続可能性(独語:Nachhaltigkeit)と定義しました。ここで使われた最初の持続可能性には、『将来世代の(経済的な安定性の)ために蓄えを保ち続ける』という文脈で使用されました。19世紀にそうした(将来世代のための)持続可能な林業という定義が書物とともに英語圏に移入されると、その際に、翻訳者は「構造物を梁などで支え続ける」という文脈で使用されていたサステイン(英語:Sustain)を充て、持続可能性という言葉はサスティナブル(Sustain+able)という用語に置き換えられています。しかし、そもそものこの言語は、自身だけが富をむさぼるのではなく、子どもたちの世代に蓄えを保ち続けるという文脈で、つまり将来世代に対する愛情から生み出された言葉です。