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2012/07/20

ハノーファー大学 地理学のPR(情報整理)

ハノーファー大学の地理教育講座が、「地理学のPR」というワークショップを開いています。世間に向けて地理学および地理科学の成果や考えをアピールするに際して、「どのメディアを通じてどうPRするか」や「良いPRとは何か」を議論しているようです。地理教育講座がこういう活動を先導しているということは、社会における地理教育の在り方のヒントになりそうです。」
http://www.didageo.uni-hannover.de/kontakt.html

2012/05/10

人文地理


人文地理学(人類地理学ではなく人文地理学と表記)は社会科学、人文科学、精神科学、経済学と一緒に、地理学の二番目の支柱である。元来自然科学というより、人文科学、社会科学との仲立ちをするものである。

人文地理学的考察の中心にあるのは空間や空間認識における人間ファクターとしての人間の影響であり、「人間側の社会的枠組み」と「空間的構造に対する影響」の関係性である。人類地理学の類義語として文化地理学が用いられるが、文化地理学は伝統的な人口地理学、経済地理学、交通地理学を含んでおり、また政治地理学や歴史地理学も含んでいる。ここ数十年のあいだにサブ領域として移民研究や余暇の地理学、教育地理学や宗教地理学、フェミニスト地理学や時間地理学が追加された。


人類地理学の潮流はおおまかにいうと、環境決定論(Geodeterministisch)に特徴付けられる、人間行動に関する思想から、個人や社会の欲求に裏付けられた攻囲の行動範囲としての生活空間および文化空間の研究にいたる様相である。


Friedrich Ratzelは19世紀末に、人間行動は生活環境における自然条件によって強く特徴付けられているという思想を支持している。適切な環境決定論的説明はいまだに、教科書などでもときおり目にすることがある。決定論は運命論に導くことも多く、無力さを暗示する。20世紀前半において政治的決定は環境決定論によって正統化されていた。ナチスの「領土なき民族」思想(Volks-ohne-Raum-Ideologie)の例のような決定論の誤用に関する認識と、自覚と反省に基づいて行動する人間による建設的な意見は、最終的に環境決定論的な考え方の意味喪失を招いた。


社会地理学のパイオニアは20世紀初頭のVidal de la Blacheである。文化生態学という研究領域を定め、その核は地理学的風土に関連した生活様式を調査することであった。ドイツの人類地理学は1950年代暮れまで、オットーシュリュターの文化景観概念によって特徴付けられていた。とりわけ、人間生活空間の形態学的観察を通した文化景観学が特徴的である。そこでは文化景観は、空間として理解され、持続的な人類学的影響の下にあり、それらによって形成されるものであった。1930年代にはクリスタッラーがダイナミックなプロセスと機能的関連性を記述した。


20世紀中盤までばらばらだった領域が、社会地理学によって横断的にまとまられていく。人間と環境の関連性における社会的パワーと機能の分析が中心となってくる。Ruppert/Schaffeによると「社会地理学は、個人と社会の存在理由機能の空間的形態と空間構成プロセスに関する科学である」。存在理由機能は住居、労働、リラックス、買い物、教育、生殖、地域の生活や交通へのコミットなどを対象としている。GUL

2012/05/09

人間―環境システム FK


今から3000年前にはすでに、シュメール人、バビロニア人、フェニキア人による、人間と環境の関係(Mensch-Umwelt-Verhätnis)に関する地理学的な記述や地図が知られている。その後エラトステネスによる地球円周の算出、ヒポクラティスによる最初の地球投映法、ストラボンやプトレマイオスによる地理的なメモリアルワークが知られている。18世紀になると百科事典的な知識が収集され、こうした記述を中心とする段階が19世紀まで続いた。19世紀半ばになるとフンボルトの探検とその記述によって近代地理学が生まれる。続くカールリッターが地理学を創設し、リヒトホーフェンやラッツェルによって専門化が進んだが、当時のアプローチは因果研究に関するもので、人類地理学における中心は、人間―空間関係(Mensch-Raum-Beziehung)であり、空間が人間に与える作用を過大評価しすぎる傾向があり、地理決定論(Geodeterminismus)と解されることがあった(ただし、今の決定論と可能論はどちらもこの時代の研究に端を発しているという見方が主流)。ちなみに当時の自然地理はといえば、空間的知識の把握に留まらず、その空間を形成する各種の営力やプロセス、法則をも対象としていた。
 その後、自然地理は圏という領域区分を用いた。また、WW2までそこでは地形学が中心であった。人類地理(人文地理)では、居住地理が支配的であったが、戦後社会地理が台頭。こうした発展の中で、常にその収斂する方向、つまり地理学としての統一性というものが問われていた。
 その統一性を巡る議論は、1960年代まではヘットナーの地誌学が中心であって、その後は、ハゲットなどのような、空間―時間カテゴリーを導入したシステム研究(Systemforschung)が強められていった。しかしグローバリゼーションと環境変動が社会の関心となることによって、地理学の統一的対象は新たに、景観(Landschaft)とされた。景観は、歴史的に発展した人間―環境システム(Mensch-Umwelt-System)として見なされており、それは、時間の経過において、つまり将来をも含んで、あるプロセスに従属するシステムであるとされる。現実景観(Realität Landschaft)のために、地理学は全体アプローチ、ホリスティックアプローチを採った。そうした自然科学的かつ社会科学的な課題設定は、地理学に対して非常に有利に働き、地理学の持つ人間―環境システムに関する統一的でホリスティックなアプローチは、多くの科学者から環境科学における鍵学問として見なされることとなった。ちなみに、こうした地理学を領域横断的な中心的学問として見なす考えは、18世紀のヘルダーがすでに指摘している。FK

2012/05/06

1959年の「地理」4-3 フンボルト特集

尚、日本で最初のフンボルト登場は、
 箕作省吾1845坤輿図識:ヒュンボルト
 内村鑑三1894地理学考:ハンボルト

2011/12/22

地理学のホリスティックとGIS 引用

Francis Harvey 1997

From Geographic Holism to Geographic Information System

Substantial changes in a core idea of geography, integration, have occurred since Alexander von Humboldt published Kosmos (1845-1862). These changes are part of a larger shift in Western civilization to mechanistic reasoning. This shift led to the strengthening of system-based analysis, central to the development of geographic information systems (GIS). The duality of holism and the systems approach has led to an apparent contradiction in geography. R. Hartshorne in The Nature of Geography described this contradiction, but as did Alfred Hettner and Emil Wisotzki before, moved to partial systems as the core concept of geographic integration. Hartshorne's concept of vertical integration is the antecedent for the ubiquitous GIS layer model. The reduction of geographic relationships and processes to mechanistic components (layers) aids the systematic approach, but may lessen geographic understanding of a place's interrelationships. Although the partiality of the system approach was already acknowledged by Finch and Hartshorne in the 1930s, the tension between holistic and system approaches in geography remains. Holism and system-based approaches are indeed complementary methods for developing geographic understanding. Using holistic approaches to understand geographic phenomena, before we teleologically (following a purpose) analyze phenomena as a system, extends GIS to include broader interrelationships of geography in specific locations.

全文引用元
http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1111/0033-0124.00058

2011/11/16

中村真人さん「ベルリンの氷河時代を感じて」

ベルリン在住ジャーナリストの中村真人さん。彼の連載を一度だけお手伝いしたことがあります。
ベルリンの地形を研究していたので、地形や環境といった視点からベルリンを見ることを提案させてもらいました。なんとか、動画が入れられたらもっと良かったです。ブランデンブルク州測量局のSchlaak博士が作ったDVDだと、低地の氷河地形の形成プロセスが動画になっていたので、一部お借りできないか相談してみればよかったです。

ブラタモリベルリン版、とでもいいましょうか。

中村真人さん ベルリンの氷河時代を感じて in ベルリン 発掘の散歩術 2010.10.08 Nr.837
http://www.newsdigest.de/newsde/regions/berlin/3033-kreuzberg.html

*中村さんは、地球の歩き方ベルリン版である「素顔のベルリン」の著者です。
http://goo.gl/goAUV

2011/04/24

フェルメールの地理学者の地図

地理学者にとって地図とは何か、ということを再考して欲しいと思いました。

フェルメールは17世紀でA.v.フンボルトよりも前の時代の人、ですか。
17世紀の地理学を知りませんがおそらく、星空の星座の位置を研究するのが天文学なのに対して、地球上の山や海や大陸の配置などに関して研究するのが地理学者だったのではないかと想像します。
あの地理学者が手にコンパスを持っていることからもそう思われます。

ああして、地理学者が大きく広げられた地図を前に、何かを想ったり、考えたりする機会は減ったように思います、日本では。ドイツではいまでも健在です。

("Geographer", 21st century, Germany)



ちなみに、ベルリン自由大学時代の研究室には、フェルメール地理学者のと同じく地球儀がありました。また、絵の背景に描かれているような、重厚な書棚もありました。僕は本よりも食料保存用(カップラーメンとお箸と醤油保存)に使わせてもらいました。
日中に電気をつけることもなかったので、薄暗い研究室の雰囲気も懐かしく感じます。

今日でもドイツ人地理学者は窓際で地図を眺めていることでしょう。
あの絵の中にPCとセントラルヒーティングの配管が加筆されたら、そのまま現在のドイツ人地理学者の研究室といえそうです。