人文地理学(人類地理学ではなく人文地理学と表記)は社会科学、人文科学、精神科学、経済学と一緒に、地理学の二番目の支柱である。元来自然科学というより、人文科学、社会科学との仲立ちをするものである。
人文地理学的考察の中心にあるのは空間や空間認識における人間ファクターとしての人間の影響であり、「人間側の社会的枠組み」と「空間的構造に対する影響」の関係性である。人類地理学の類義語として文化地理学が用いられるが、文化地理学は伝統的な人口地理学、経済地理学、交通地理学を含んでおり、また政治地理学や歴史地理学も含んでいる。ここ数十年のあいだにサブ領域として移民研究や余暇の地理学、教育地理学や宗教地理学、フェミニスト地理学や時間地理学が追加された。
人類地理学の潮流はおおまかにいうと、環境決定論(Geodeterministisch)に特徴付けられる、人間行動に関する思想から、個人や社会の欲求に裏付けられた攻囲の行動範囲としての生活空間および文化空間の研究にいたる様相である。
Friedrich Ratzelは19世紀末に、人間行動は生活環境における自然条件によって強く特徴付けられているという思想を支持している。適切な環境決定論的説明はいまだに、教科書などでもときおり目にすることがある。決定論は運命論に導くことも多く、無力さを暗示する。20世紀前半において政治的決定は環境決定論によって正統化されていた。ナチスの「領土なき民族」思想(Volks-ohne-Raum-Ideologie)の例のような決定論の誤用に関する認識と、自覚と反省に基づいて行動する人間による建設的な意見は、最終的に環境決定論的な考え方の意味喪失を招いた。
社会地理学のパイオニアは20世紀初頭のVidal de la Blacheである。文化生態学という研究領域を定め、その核は地理学的風土に関連した生活様式を調査することであった。ドイツの人類地理学は1950年代暮れまで、オットーシュリュターの文化景観概念によって特徴付けられていた。とりわけ、人間生活空間の形態学的観察を通した文化景観学が特徴的である。そこでは文化景観は、空間として理解され、持続的な人類学的影響の下にあり、それらによって形成されるものであった。1930年代にはクリスタッラーがダイナミックなプロセスと機能的関連性を記述した。
20世紀中盤までばらばらだった領域が、社会地理学によって横断的にまとまられていく。人間と環境の関連性における社会的パワーと機能の分析が中心となってくる。Ruppert/Schaffeによると「社会地理学は、個人と社会の存在理由機能の空間的形態と空間構成プロセスに関する科学である」。存在理由機能は住居、労働、リラックス、買い物、教育、生殖、地域の生活や交通へのコミットなどを対象としている。GUL